西区ツアー

4 Views西倉原の夕暮れ
洞名の由来
- 西倉洞という名は朝鮮時代、租税として納められた穀物を保管していた西倉があったことから由来した。
- 管轄の法定洞である細荷洞は細洞の「細」と洞荷の「荷」をとり、馬勒洞は「マルグレ」とよばれたことから、碧津洞は高麗時代ここにあった碧津部曲から、梅月洞はゲダン山に梅の木が多いことから、龍頭洞は地形が龍の頭を形をしたことから由来した。
地域について
- 光州の中心に位置し、金堂山や蓋金山、松鶴山に囲まれ緑豊かで交通利便性も高いうえに西倉洞隣接地域の住民のの大半が農業にたずさわっていることから田園ののどかさと人情を感じることができる。郷土文化村、国楽伝授館、文化センターなど多彩な文化施設がある。
- 西倉の原一帯は農業が盛んで「西倉マンドゥリ」という独特な唄が歌われてきたが、これを復元し毎年再現している。
「マンドゥリ」とは水田の最後の草取り、すなわち田植えの後に行う数回の草取のうち最後の草取り作業をさし「マンムル」ともよぶ「マンドリ」から由来した。最後の草取り作業が行われる百中(旧暦7月15日)にうたわれ、豊作を願い助け合いを大切にする当時の農民たちの様子がうかがえる。
- 地域の文化財:晩帰亭(市文化財資料第5号)、龍頭洞支石墓(市文化財資料第6号)