주 메뉴 바로가기 본문으로 바로가기

西区ツアー

Mangwijeong
1 Views晩帰亭
  • 市文化財資料第5号に指定され、美しい景観で名高く、当時多くの文人墨客がここに集い詩作に耽り風流を楽しんだ場所として知られている。
由来

全羅北道南原に住んでいた張昌羽(号は孝友堂)が光州西区洞荷に居を移し語学の養成に専念するために建てた。晩帰とは自然のなかで老後を送りたいという詠帰の意として解釈される。
1934年に改築がはじまり、日本の植民地支配が終わった1945年に現在のような正面・側面2間の入母屋造が完成した。

  • 晩帰亭市文化財資料第5号に指定され、美しい景観で名高く、当時多くの文人墨客がここに集い詩作に耽り風流を楽しんだ場所として知られている。
  • 襲香閣晩帰亭の階段を降り橋を渡って行くと襲香閣がある。1940年に孝友堂の7代目の子孫である張安燮(号は黙庵)がたてた。四方1間の八角形の屋根で、蓮の花の香りが漂ってくるとして襲香閣と名づけた。
  • 黙庵精舎晩帰先生の子孫で松汀邑長だった張安燮氏の功労と徳行を讃えるために1960年光山区民によってたてられた。
歴史
  • 興城張氏の先祖である張昌羽(号は孝友堂)が朝鮮時代顕宗12年(1671年)に現在の晩帰亭の敷地に池をつくりその中央に土を盛り上げ書堂を建てたのがはじまりと言われている。
  • 後に同族集落をなし暮していた興城張氏の子孫たちが張昌羽が後学を養成していた跡地にその志を讃えるために1934年に改築、1945年には改修が行われた。
  • 日本植民地時代には「晩帰亭詩会」という文人墨客の集いが開かれ風流を楽しむ場として使われた。
変遷史
全南大農学部造景色学科のジョン・ドンオ教授は晩帰亭は本来灌漑農業用の貯水池に人工島をつくり東屋をたてたことが始まりだったという。 そのことからか、水田の間にある池の形は四角ではなくD字型をしているが、人工島を3つ造ったのは伝統的な神仙思想様式をふまえたからといえる。
耳寄り情報
村人たちのよるとここは光州市民に愛される指折りの行楽地で、春は桜、夏はショウブ、秋はナツズイセンに華やかに彩られ、シン・ソンイルやユン・ジョンヒ、ホ・ザンガンら往年の大スターたちが出演した映画『花輿』、『脱線春香伝』もここで撮影されたという。